2013年 12月 01日
未明の闘争 |
その日は彼の誕生日で、彼女はわたしのために彼がかつてリクエストした本を買ってくれたのだが、彼が言ったことをうっかり忘れていたわたしはその人がくれた本を目の前にほんの数秒「え?」と思いしかしすぐに思い出して彼は彼女にありがとうを言った。ここでいう彼が誰とかほんとうはわたしではないのかという疑念はさしあたりはどうでもよくて、十一月にしては寒い風の強い晩にその本をすぐに開いたわけではなくて、しばらくテーブルの上に放っておいた。ずいぶん昔にポン助がその下にいたテーブルにもうポン助はとうぜんいなくて、わたしがYoutubeでいたずらに猫の鳴き声を再生すると当たり前だがすぐに反応したポン助はパソコンの上に乗っかるやら下から横から覗き込むやらで、よう子ちゃんがその場にいたら「あらあらそこではありませんよ~」などと相好を崩すのは目に見えていたことだがポン助はいない。それどころかよう子ちゃん自身がいまここにはいないのだからわたしはとりあえずその赤い表紙をめくって軽く流すような目線でなんとなく行を追ってみた。想像していたのだが、童話作家小川未明の創作にまつわる葛藤を描いた芸術家小説だということは見当がついていて、あえて伊藤さんにそう訊ねなかったのはいつからか伊藤さんが口を聞いてくれなくなったせいもあるが猫だって急に愛想を尽かしたように、というか猫は猫なりの必然性もしくは偶然性を蓋然性として内包していて……
ところで、3行目からすでに文法がおかしい。保坂さんは完全に小島信夫になりきってます。
クリスマスまであと24日、と書いてそれが何の意味があるのかと彼ないしわたしは自問自答したのだが、果たして誕生日だとか余命あと何ヶ月とか人生における基点を決める人間の意識というのはどういう精神のあり方なのだろう? カフカならば、いや猫ならばもっと無時間的というか没時間的な、つまりいつからともなく生まれて際限なく…
by stcl
| 2013-12-01 21:55
| photo essays