2007年 12月 27日
歳末閑居 |
いったいどこに「詩」が潜んでいるのかわからない、でもまぎれまなく「詩」である。わたしの記憶にはそんな詩がいくつかあって、中でも大好きなのが、山之口獏の「桃の花」と、これから紹介する井伏鱒二の「歳末閑居」だ。井伏さんはまだ没後50年経っていないので著作権が気になるが、まあ営利目的ではない一個人のブログなので、全文引用を許していただこう。
歳末閑居
井伏鱒二
ながい梯子を廂にかけ
拙者はのろのろと屋根にのぼる
冷たいが棟瓦にまたがると
こりや甚だ眺めがよい
とここで今日は暮の三十日
ままよ大胆いつぷくしてゐると
平野屋は霜どけの路を来て
今日も留守だねと帰つて行く
拙者はのろのろと屋根から降り
梯子を部屋の窓にのせる
これぞシーソーみたいな設備かな
子供を相手に拙者シーソーをする
どこに行つて来たと拙者は子供にきく
母ちやんとそこを歩いて来たといふ
凍えるやうに寒かつたかときけば
凍えるやうに寒かつたといふ (『厄除け詩集』より)
たいへん具体かつ平易、いわゆる「詩」くさい、思わせぶりなど表現はどこにもない。しかし紛れもなく詩である。特に最後二行、なかなかこんなふうに書けるものではない。山之口獏「桃の花」の場合もそうだが、単にくりかえすだけで「詩」が立ち現れる場合もあるのだ。どこをどうくりかえすかは、おそらくすこし間違えただけでも「詩」をうしなってしまうのだろうけれど。
ところでポン助くん、拙者キミのことを詩にしやうと思ふのだが、どうだらうね。
by stcl
| 2007-12-27 13:33
| ポン助